整骨院 匠は、宅見 惇(たくみ あつし)が院長を務めます。

宅見 惇のプロフィール

日本工学院北海道専門学校 卒業(柔道整復師免許取得)

  • 専門学校を卒業後、オーストラリアのカイロプラクティックの大学を卒業した先生に師事し、腕を磨く
  • 2012年: 札幌では初めてのグラストンテクニックの資格を取得
  • 2014年: 北海道で3人目となる「米国IBA認定ボディートーク施術士」の資格を最年少で取得
  • 2015年:依存治療であるトルクリリース、ニューロオリキュロセラピーの資格を取得
  • 2016年: 「治療院 匠」を開業
  • 2017年: 2店舗目である「整骨院 匠」を開業
  • 2018年:ボディートーク施術士のプロトコールを全て履修

延べ100回以上のセミナーに参加し、3万人以上を治療した経験を治療に活かしております。

整形外科に勤めていた経験があり、交通事故治療にも精通しています。

自律神経系の、原因がわからない症状もお任せください。

趣味

休みの日は、ゴルフやテニスをすることもあれば、温泉に行ったり、クラシック鑑賞をしたりと、ゆったりとした時間を過ごすこともあります。

スープカレーが好きです。

来歴

長いですが、私のたどってきた道ですので、気になる方はお読みください。

幼少時代

私は北海道網走市で、上に姉がいる2人兄弟の長男に生まれました。

私の父は神奈川県出身で、昔から自転車一本で様々なところを旅しており、その経験を基に「あら鷲」という民宿を経営しています。

父は5年の歳月をかけて、素人にして自分で家を建てるほどの情熱のある人です。

かなりの凝り性なので、自分で作った自然農法の野菜や、卵から孵化させた比内鶏(ひないどり)を飼って、それをお客さんに提供しています。

冬は氷爆(ひょうばく・滝が凍ったもの)ツアーと言って、あら鷲のクロスカントリーコースを、スキーをしながら巡るものもやっています。

私自身は、幼い頃は「網走」という山の中で育ちましたので、普段は野菜作りをしたり、キノコを採ったり、鶏の飼育をしたりで、冬になると、クロスカントリーやソリなどで遊んでいました。

治療家への道に進むきっかけ

私が小学3年生になると、野球を始めました。

野球はこの後9年間続けることになりましたが、これがきっかけで私の治療人生がスタートすることになります。

中学校に入ると、私はよく怪我をするようになりました。

肘が痛くなり、当時の網走の整骨院に通い始めたのですが、3ヶ月過ぎても一向に良くなりませんでした。

その先生には、「肘を動かしちゃだめだよ!」と厳しく指導されていました。

私の母は、治らないのを見かねて、評判の良い紋別の先生のところに連れていってくれました。

前もって、その先生の治療は「痛い」という話がありましたが、私は治したい一心で治療を受けると、「大変だったね。これからはどんどん動かしなさいね。」と言われ、衝撃を受けたのを今でも覚えています。

その言葉通りに肘を動かし、治療を3回ほど受けると、なんと肘の痛みがなくなりました。

私は先生に多大なる感謝をしました。

そしてこの先生が、私を治療家への道に導いてくれました。

中学校では、何度も怪我をしては、網走の色々な整骨院に通いましたが、一向に良くならず、最終的にはやはり紋別の整骨院へと顔を出しました。

私は、「なぜ同じ整骨院でも、こんなにも技術の違いがあるのだろう」と疑問に思いました。

高校に入ってからも、私はよく怪我をしました。

怪我をした時は、野球部のリハビリ室で筋トレなどをしていましたが、「オーライオーライ!」と、外の選手達がプレーする声が聞こえ、その度に早く怪我を治したいと思っていました。

その間も、紋別の先生には、何度もお世話になりました。

高校3年生の夏には、野球も一段落し、「自分も紋別の先生のように、人を治せる治療家になりたい」と思い、柔道整復師という国家資格を取る決意をしました。

専門学校生活

私は18歳になり、当別にある「日本工学院北海道専門学校」へ入学しました。

頑張りたい一心で、学生時代は、ガソリンスタンドのアルバイトを2年半両立させながらも、成績順位は上位1/3をキープできていました。

2年生の秋には、就職先を探し始めることになります。

私は、「就職はしっかりとしたところに入ろう」と強く思っていましたので、東京や埼玉あたりの良い整形外科を中心に探しました。

その情熱が実ったのか、柔道整復師の登竜門と呼ばれる、非常に有名な整形外科に入れるチャンスが訪れました。

そこは、大学で言うと東大のようなところです。

これはチャンスだと思いましたが、当時は「私は柔道整復師としての仕事がしたいのではなく、どんな人でも治せる治療家になりたいんだ」と思い、その整形外科への就職を蹴ったのです。

しかし、理想は高く言っても、簡単に就職先なんて探す事はできずに、「あの時あそこに行っていれば…」と後悔する日々がしばらく続きました。

私は、専門学生の3年生の秋には、柔道整復師の国家試験に余裕で受かるレベルには勉強をしたので、ちょっと成績が危うい同級生を教えるようになりました。

そのうちの1人(Sさん)は年上で、私のやりたい事をよく聞いてくれる人でした。

就職に関する悩みを打ち明けると、「俺の知ってる先生の所を紹介しようか?」と言って頂き、すぐにその先生のいる函館に足を運びました。

その先生は、オーストラリアのマードック大学という、海外のカイロプラクティックの免許を持っている先生でした。

私自身も実際に治療を受けさせていただきましたが、テクニックや知識はもちろんのことながら、その人の人間性に感銘を受けて、「この先生に学びたい!」と強く思いました。

その後は当別に戻り、私は国家試験を無事に合格することができました。

しかし、私に先生を紹介してくれたSさんが残念ながら落ちてしまったのです。

とても残念に思いましたが、私も就職先を探さなければなりません。

私は、Sさんが紹介してくれた函館の先生のところに連絡してみました。

「先生、私は人を治せるようになりたいです。是非先生の所で働かせていただけないでしょうか。」

と、私は心の声のままに言いました。

「申し訳ないのですが、今はまだ人を雇う気はありません。」

「…ただ、勉強したいのであればいつでも教えますので、いらっしゃってください。」

先生は、そう仰っしゃりました。

その瞬間、私の心は函館に傾き、函館で就職をしようと思いました。

今思うと運が良かったです!

哲学者 森信三さんの言葉に、「人間は一生のうち逢うべき人に必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。」という言葉があります。

後から見ると、そうだなぁと思います。

国家試験が終わり、1週間特に何もせずに、試験が終わった余韻に浸っていました。

  • 3年間寒い中でもガソリンスタンドのアルバイトを頑張ったこと
  • 友達とファーストフード店で粘りよく勉強したこと
  • 友達と温泉に行き様々なことを語ったこと

そうこう思い出にふけっていた中、一本の電話が入りました。

「あつしくん、函館の整形外科に就職決まりそうだよ!」

私はすぐに「そこでよろしくお願いします!」と言いました。

何日かして、待望の函館行きが決定しました。

函館での治療生活

初めて函館に車で向かったときは、なんて綺麗な街だろうと思いました。

まるで街全体が協力して、街を彩っているような印象がありました。

私は、整形外科で働けるというのももちろんそうですが、何よりもオーストラリアでカイロプラクティックを本格的に学んだ先生から勉強できることが嬉しかったです。

実は、就職が決まる前に、既に函館にアパートを借りており、その3日後に面接を受けたところで採用されました。

就職が決まる前にアパートを借りるなど、無謀でしたが、何が何でも函館で就職を決めてやるという決意が私にはありました。

その後すぐに、カイロプラクティックの先生と、先生を紹介してくれたSさんや、その家族で、歓迎会をしてくれました。

私はこれから治療ができる人になれると思うと、今後の自分の成長が楽しみでした。

整形外科の仕事はというと、上司と馬が合わず、非常に大変な3年間を過ごすことになりました。

しかし、私は函館に来た目的がちゃんとあったので、頑張って仕事に取り組みました。

仕事が終わると、すぐに先生の所にいき、軽くご飯を食べて、先生の仕事が終わるまで勉強をして待ちました。

先生の仕事が終わったあとは、Sさんと一緒に、「臨床」を教えてもらいました。

今思うと、本当に基本的ですが、非常に大事なことを教えてもらったと実感しています。

先生の教えの中でも特に印象に残ったものが2つあります。

  • 「私たちは治療をしますが、実際に治るのは患者自身です。」
  • 「私たちの治療は、治る為のお手伝いに過ぎず、患者さんが勝手に治っていることを忘れないでください。」

この言葉は、私の治療の哲学のひとつになっていて、紛れもない事実です。

もし治したいと思う気持ちが強ければ、治療が行き過ぎてしまう場合があり、逆に患者に不利益をもたらすことを、私は経験から学びました。

私は部下に教える際も、必ずこの言葉を伝えています。

先生には、治療について右も左もわからなく、見ず知らずの私を、無償で教えてくださり、本当に感謝をしています。

私はこの感謝の気持ちを、先生に返すことは到底できないと思いました。

毎日毎日、仕事を終えては先生の所に行き、治療を教えてもらって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

謝りたいと感じると書いて「感謝」とは、このことだろうと思います。

ただしその代わり、教えてもらったことは動画に取ったり、メモをしたり、私は必死で一回で覚えようと努力をしました。

先生から教えてもらってから家に帰ると、夜中の11時を過ぎていましたが、私は撮った動画をすぐにでも吸収しようと、それからまた勉強をしました。

そして勉強した内容は、次の日必ず実戦で使ってみました。

せっかく教えてもらっているのだから、少しでも多くのことを先生から吸収したい!

仕事がない日でも先生の所に行き、臨床を見学させてもらっていました。

私は先生と一緒にいられるだけで幸せでした。

そんなことが半年も続き、気が付いたら私はある程度の治療ができるようになっていました。

矯正について悩みだす日々

私は、いつしか先生がやっている「ボキッ!」とする矯正をやってみたいと思うようになりました。

しかし先生は、「矯正をしなくても十分に治せますよ。私はあつし君に矯正は教えません。」と言いました。

「なぜならアジャストメント(矯正)は、カイロプラクターでないとやってはいけないからです。」

実は、カイロプラクティックはアメリカでは資格がありますが、日本では正式な資格はないため、誰でもカイロプラクティックをやっていると名乗ることができるのです。

巷では、「ソフトカイロ」と、カイロを名乗って、マッサージだけをやっているところもあるくらいです。

私は素直に「わかりました。ありがとうございます。」と言いました。

しかし、もっと治せるようになりたいと思っていたので(やはりこの時は自分が治していると思っていたのでしょう)、自分の首を見様見真似で矯正して実験をしていました。

知識のない中でやったため、私の首は逆に痛くなり、それを先生に見せるのが恥ずかしかったので、近くの治療院に行って治してもらいました。今では笑い話です。

何度も先生に質問しましたが、やはり帰ってくる答えは「アジャストメント(矯正)なんてしなくても、十分に人は治せますよ。」という答えでした。

私は本当にそうなのだと思いました。なぜなら先生が言っているのだから間違いない。

実際に先生は、オステオパシーなどのテクニックを駆使し、あまり矯正を行わずに治療をしていたのも事実だったのです。

「矯正」をテーマに悩みだした私は、「矯正をしないで治療をできる」ということを証明するために、あえて矯正を勉強しようと決意しました。

なぜなら、矯正をできないでいながら、「治療に矯正は必要ない。」と言う資格があるのだろうか?と思ったからです。

本当に矯正は必要ないのか?

その答えを見つける為に、私は矯正を教えてくれる先生を探すことになります。

職場で馬が合わず鬱状態に

少し話は戻りますが、私は整形外科の方では、上司と馬が合わず、かなりのストレスに見舞われていました。

あまりきれいな話ではありませんが、肛門に謎の痛みが走り、肛門科に行っても原因不明、更に私は、函館に行ったときは65kgでしたが、75kgまで体重が増加しました。

夜中も眠れず、ほとんど毎日2時に目が覚めるようになりました。

その頃は先生の所にも、1年以上顔を出さないままでいました。

そして、人間不信になってしまい、誰も信じられないようになっていました。

仕事場に行っても全く元気がなくなり、本当に自分でもあれが鬱なんだなぁと思います。

しかし、鬱状態の中、私の頭の中で、先生が「そんなときもありますよ。」と声をかけてくれていました。

私にはそれほど先生の存在が大きかったのです。

「誰のために、何のためにやっているのだろう。」そんな声が私の頭を巡っていました。

そんな状態でも、私は勉強だけは続けました。

私は今やっていることが、今後絶対に役に立つのだと思っていました。

そしてアジャストメント(矯正)は必要なのか、必要ではないのか、その答えを見つけようとして悩んでいました。

正月が終わり、私は変わりたい一心で、「先生の所に会いに行こう!」と思いました。

実は、鬱になってから先生とはあまりお会いしていなかったので、会いに行くのには、勇気が必要でした。

何度も家の前をうろうろしては、やめようかと思いました。

「いや!俺は変わるんだ!」と、勇気を振り絞ってチャイムを鳴らしたら、奥さんが出てくれました。

「あらっ久しぶりね」

私は今の状況を少し説明すると、すぐに中に入れてもらえました。

先生はまだ施術中だったので、部屋で正座をして待っていました。

待っている時間は非常に長く感じました。

何を言おう、頭の中がぐるぐると回りました。

そこで、先生が施術を終えて、私の前に来てくれました。

なぜか先生に会うと、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

…しばらく沈黙が続きました。

30秒ほど経ったろうか、先生から「何か私に用があって来たのではないのですか?」優しい声で言われました。

「これからどうしたらいいかわからなくて…」私は今のことを先生に話しました。

先生は、治療室に案内してくれて、そこで色々話してくれました。

話してくれた内容は、勉強法やセミナーの情報などで、正直あまり頭に入りませんでしたが、私はまた先生に会えて話せたということが一番嬉しかったです。

それから、私の中で歯車が動き出したという感覚に陥りました。

直感を基に札幌へ

話は変わりますが、私が鬱の時に、頭の中では私の以前の専門学校の先輩の声が聞こえていました。

その先輩は「助けてくれ」と私の頭の中で言っていました。

今までの人生は、直感が働くことが多く、私が本当に悩んでいる時に働く「神の声」を、何度も経験してきました。

「助けてくれ」という先輩の声が、私の進むべき道しるべになると、すぐに理解しました。

カイロの先生と話した後、私はその先輩の連絡先を知っている人物に連絡をかけました。

事情を聴くと、今は札幌の整骨院で働いているらしいとのこと。

整形外科では相変わらずでしたので、私はすぐに面接をお願いしたいと申し出ました。

すると、なんと最近一人やめて、人が欲しいとのことでした。

…非常に強運でした。

そして札幌に行き、見学をして、その先輩が私に「矯正」をしてくれた次の日から、よく眠れるようになりました。

すごく感動的でした。

その時私は、「やはり矯正は必要なのではないか」と思いました。

函館に戻ってから、私は先生に事情を説明し、札幌で矯正を学びたいと思っていることを伝えました。

先生は「一度そういう勉強をしてみるのもいいと思いますよ。」と言ってくれました。

私が先生と同じ立場で、教えていた子にそのようなことを言われたら、絶対に反対をしていたでしょう。

私は先生が札幌に行くのを反対してくれなくて本当によかったと思います。

今度は矯正を勉強しに札幌に行こう。

私の心はそう決まりました。

23歳の冬でした。

札幌での治療生活

札幌へ行こうと決めた後の私の行動は早かったです。

1月には、すぐに整形外科の上司にやめる旨を伝えました。

私は戦力だったらしく、辞められるのは困るようでしたが、受け入れてくれました。

2月には、札幌のマンションを探しに行きました。割とスムーズに見つかりました。

3月には仕事をやめて、お世話になった人たちに挨拶をして札幌に向かいました。

話は割愛しているが21歳の頃にゴルフを始め、その時にお世話になった社長さんなど、よくしてくれた人には全員に挨拶に行きました。

函館では、本当に色々な人にお世話になりました。

そして、またもや、矯正をしてくれた先輩のところで働けるのかも確定しないうちにマンションの契約をしました。

しかし、私はそこが落ちても、札幌のどこかでは働けることを確信していました。

4月には無事に先輩のところで採用が決まり、その後は矯正のセミナーなどに積極的に参加しました。

しかし、お金には本当に困りました。

給料から毎月セミナー代を引かれると、瞬く間に貯金は底を尽きました。

その間、私はかなりの節約生活をして過ごしました。

ただ、その職場もかなりのストレスがあったため、お昼ご飯は喉を通らず、食費は抑えることができました。

そこでの1カ月の仕事で、私の体重は75kgから68kgまで減少しました。

私は矯正を勉強するどころか、仕事が忙しくてそれどころではありませんでした。

しかし、仕事が終わった合間を見て、患者をどうしたらよくできるかをノートに書いて勉強しました。

もちろんセミナーの勉強会では、ノートにとったり、動画に撮影したりして勉強しました。

当時はとにかくがむしゃらに仕事をして、がむしゃらに勉強をしたと思います。

私は1年経つと、心身ともに疲れていました。

当時は月に350時間以上働きましたが、給料もかなり少なく大変でした。

院長も詳しく把握はしていませんが、結構大変そうでした。

オーナーは、普段は店にはいませんでした。

院長も自立したく、オーナーとの話し合いの結果、店を買い取る形になりました。

そして2人でなんとか耐え忍び、上司が整骨院を買い取ることができました。

その後、院長が経営者になり、2人で整骨院をやっていくことになりました。

店を買い取った後は、給料が上がったり、業務が圧倒的に少なくなったりで、ようやく人間らしい生活を送れるようになりました。

グラストンテクニックの資格取得

私の函館の師匠は、北海道で最初に「グラストンテクニック」と呼ばれる、アメリカの2大メジャーアスリートケアの1つであるテクニックを取得していました。

そのテクニックは、「インスツルメント」と呼ばれる医療用ステンレスで筋膜の癒着を取り、

  • スポーツパフォーマンスの向上
  • 神経や血液循環の改善
  • コリやハリの解消
  • スポーツなどによるケガの早期回復

などを見込むことができる、非常にいいツールです。

私はそれを、22歳の時から欲しいと思っていました。

グラストンテクニック

こちらがグラストンテクニックのインスツルメントです。

札幌に来て少し治療に自由になれたことで、私は院長にそのテクニックを取得しようと提案しました。

もちろん院長はOKを出してくれました。

そして、私の師匠は函館にそのグラストンテクニックのインストラクターを呼び、セミナーが開催される事が決まりました。

そうしてその日は院を閉め、函館に行きました。

久しぶりに先生と会えて、私は嬉しかったです。

そこで2日間のセミナーを受けた後、私たちは札幌で初めてのグラストンテクニック・クリニシャンになることができました。

24歳の秋のことでした。

グラストンテクニックの効果は絶大でした。

今まで治りが遅かった症状は早く改善し、スポーツ選手の反響も非常に良かったです。

私自身、フルマラソンをするので、自身のケアにグラストンを使って、筋力アップやケガの防止をしました。

こういう時は、治療ができてよかったと思います。

矯正の必要性

私は院長に、「矯正は必要ないのではないのか?」という話をしてみました。

元々矯正をしなくても治療ができることを証明しに札幌に来たので、もちろん矯正の練習は毎日しました。

院長は「矯正は必要ある。」と話していました。

結果からいうと院長はもうまったく矯正をしていません。

私もしません。というより、完璧に習得することはできませんでした。

もっと言うと、完璧に習得する前にする必要がないことを理解しました。

ただ、もっと早く知りたかったところではありますが、今思うと仕方ないことでしょう。

矯正の練習

ボディートークとの出会い

自分達の整骨院では「医心会」をいう勉強会をやっていました。

その勉強会には、様々な先生をお招きして、勉強をしていました。

  • 東洋医学に詳しい先生
  • 食に関するスペシャリストの先生
  • 指ヨガから、スポーツ関連

その中で「ボディートーク」という治療法があると聞いていたので、先生を呼んで話してもらおうという話になっていました。

聞いたことのない治療法だったので、私は院長に「どんな治療なんですか?」と聞きました。

院長は「体に何か聞くらしいよ?」という情報だけを持っていました。

実際私たちは結構勉強している方だと思っていましたが、私はまだまだ色々な治療法があるなと思いました。

函館時代の師匠から教えてもらった様々なテクニックはもちろん、

  • グラストンテクニック
  • カイロプラクティックの元々の原理に基づいた「トルクリリーステクニック」
  • 痛みのコントロールや依存症に効果を発揮する「オリキュロセラピー」

など、治療にはそれなりに自信がありました。

「ボディートーク」にはさほど興味はありませんでしたが、勉強のために覚えておこうという位の感じで、そのセミナーも受けようと思いました。

しかし、セミナーを受けて私は驚愕しました。

こんな素晴らしい治療法があるのだと!

この治療法は斬新で画期的、しかも患者の本当に必要なものをバランスでき、非侵襲的なところも魅力的です。

しかし本当にボディートークの素晴らしいところは、誰にでも施術ができるように形態づけられたところだと思います。

創始者が治療法を独占せず、より沢山の人たちが多くの人を治療できるように工夫された素晴らしい物だということが、すぐに理解できました。

この治療法を勉強したい!

私はすぐに院長にボソッと「これだ…これを勉強しに来ましょう。」と静かに言った記憶があります。

院長も「これだな。」と言っていました。

それからまず「ボディートークアクセス」という、ボディートークをセルフケアで出来るセミナーを受講しました。

セミナー代もそんなにかからないので、一家に1人いると、家族の健康のサポートができるので、是非興味がある人がいれば受けてもらいたいものです。

そしてボディートークアクセスを受講してから1年が経ち、ようやく基礎1、2というものを受講できました。

4日間、朝から晩までセミナー会場にこもって勉強するというものです。

その4日間で、私は何とか治療できるまでになりました。

そのセミナーは、ボディートークの6割を占めるほどの重要なセミナーで、これだけでもかなり治療することができます。

そして、セミナーを終えて私はすぐに勉強に取り組みました。

この治療法でたくさんの困っている人を救うことができる。

私はそう感じました。

そしてチャートも2日ですべて覚え、50人の無料セッションも2カ月でやり遂げることができました。

私はもう一度ボディートークのセミナーに参加し、試験を受け、無事にボディートーク施術士になることができました。

これもたくさんの人の応援があったからです。感謝しています。

数々の修了証

過去に受けたセミナーの修了証。

独立に向けて

自身がボディートークを習う上で必要なのがセミナー代です。

ボディートークのセミナー代は、安くても10万円します。

しかも、全部取るには200万円近くのセミナー代を工面しなくてはいけません。

ボディートーク施術士になるまでは、会社で出してもらっていましたが、そのうち自分で捻出しないといけなくなっていました。

そんな中、私は分割払いでセミナー代を支払いしていました。

しかし、行きたいセミナーは沢山あるのに、いけない状態になり私は非常に困りました。

悩んだ末に、起業することを決めました。

今のままでは、とてもセミナーを受けながら生活することができなかったからです。

しかし問題は場所がないし、患者さんがいないことです。

場所は、最初はなんと大手スーパーの休む椅子で治療を始めました。

患者さんは、ありがたいことに、私が治療以外に所属するコミュニティの方から、沢山紹介していただき、口コミで増えていきました。

「初めまして宅見と申します。」

そうやって初めての患者さんに会うのはスーパーの玄関です。

某スーパーによくある休む椅子。

しかも近くには、整体のテナントがありました。

今思うと、あそこでよく治療していたものです。

しかしちゃんと結果を出していきました。

口コミが広がるうちに、さすがに寝させないと治療できないものも増えていきました。

今度は知り合いの整骨院に頼んで、ベッドを1回500円で借りて治療していきました。

しかし患者さんが増え、その度に遠くの整骨院に行くことも大変になりました。

Facebookなどで新しい人に会ったりして営業していたときに、一人の経営者に会いました。

「うちの事務所を使っていいよ。」

そこは「事務!」という感じの場所でした。

しかも建物の入口は「ここから入るの?」

というような、明らかにぼろぼろの入口の所でした。

そして3階の事務所に紙で「治療院匠」とプリントアウトした治療室を作りました。

雇われていたので、仕事が終わった後にそこで治療をして、23時になることもしばしばありました。

開業祝い

いつもお世話になっている方からの開業祝いです。

ありがたいことに、長いこと痛みが続いていた患者さんが治り、非常に口コミをしてくれたこともあり、3月から始めて患者さんは倍々になっていきました。

結局、治療院兼自宅という形を取ることにして、引っ越しをして治療をすることができるようになりました。

一生懸命今まで勉強していたこと、臨む未来に一生懸命トライしたこと、患者さんが喜んで口コミをしてくれたこと。

様々なことが重なり、私は再びセミナーを受けれるようになりました。

今まで治療という課題に向き合い、一生懸命勉強してきて、本当によかったと思った瞬間でした。

2016年の6月の事です。

それからは、大阪、東京と、自分の行きたいセミナーを行きながら治療が出来ています。

2017年8月には、東札幌に独立支援ということで、もう一店舗「整骨院 匠」という整骨院を作ることができました。

話すと長くなりますが、結構問題もあり苦労をしました。

整骨院 匠の内部写真

整骨院 匠の内部写真

整骨院 匠の、待合室の写真です。

有名な書家に頼んだ整骨院匠のロゴです。

2018年の治療の目標は、ボディートーク上級施術士の資格を取ることです。

全国でもまだ10人もいません。

どうせやるなら上を目指したいです(ほとんど治療は趣味の領域なので、勉強したいという感情の方が強いです)。

そしてグラストンテクニックの上級を取ること。

これも北海道では5人もいません。

  • 軟部組織の最先端「グラストンテクニック」
  • 21世紀最新のエネルギー療法「ボディートーク」

これも全て患者さんが支持してくれたことで学べる事。

非常に感謝をしています。

治療を通じて患者さんに、そして社会に還元出来るようにこれからも頑張っていきたい。

今後とも人間力、 そして魂を磨くために、一生懸命頑張って参りますので、ご支援よろしくお願い致します。

2018年10月 治療家 宅見惇